私が欲しかったものは、ずっと私の言葉の中にあったのかもしれない

ERICO

わたしには、ずっとやりたいと思っていたことがありました。


実は、ここ数年の間は、そのジャンルについて学んでいて、学校にも通ってみたりしました。


でも、なかなかうまくいかなかったり、なぜか、やりたい方向に進められなかったりして。『なんでなんだろう?』って考えてた。


ちなみに、ずっとやりたかったのは、映像制作なんです。


ここでいう映像は、ただのYouTube動画とかじゃなくて、もうちょっと”映像作品”という感じのもの。


映像の音とか色とか、もっと緻密ちみつにこだわった、世界観のある作品を作ってみたかった。


そう、ちょっとここで言うのは恥ずかしいけど、私は映像作家になりたい!とずっと思ってた。


私の中では、それが『これから一番やりたいこと』みたいな位置づけなのに、いつも理由をつけて、後回しにしてしまうんです。


それで最近は、ちょっと考え方を変えてみて、『これは本当に、私がやりたいことなんだろうか?』


そんなふうに、自分の心を見つめ直してみたのです。
   

     
そして、出てきた答え。私がずっとやりたかった”映像制作”は、たしかに『やりたい表現のひとつ』ではあるけれど…


同時に、私の中には『それができないと、私は完璧になれない』そんな不足感からの『やらなきゃ!』という気持ちも、どこかにあったのです。


もっと突っ込んで言うと、『それさえできるようになれば、私の人生はうまくいくのに!』『それができるようになったら、今までのことをくつがえせるのに!』


そんなふうに思っていた。


そう。私はおそらく、この”これからやりたいこと”を通じて、自分の『欠けている穴』をうめたかったんだと思う。


じゃあ、その”欠けている穴”って何?って話なんだけど。


すごく真面目な話をすると、今のわたしに足りないと思ってたのは、人をひきつけるような”求心力”とか、自分の表現や商品を広めるための”拡散力かくさんりょく“なんじゃないかな。


過去、一番アクティブに活動していた頃に比べて、やっぱり今は露出も多くないし、SNSもやっていない。


でも私は、SNSのフォロワー数とか、いいね数にとらわれずにいられる、今の人生や仕事のスタイルが、ほんとうに好きなんです!できればこの先も、ずっとこのスタイルを貫きたいと思ってる。


でもね。好きなことで生きていくこと、好きなことで食べていくことって、そんなに甘くないというリアルな部分も知っているから…


だから、今後の課題である拡散力拡散力については、どうしようかなぁと、ずっと悩んでもいたんです。
     

      
でも、きっと私は、まだ過去の自分の成功体験とか、そのときにうまくいった”やり方”に、とらわれすぎてたんだと思う。


『やっぱり、またどこかのタイミングで露出を増やさないとなぁ』『SNSもまたやらないとなぁ』


そう思っていて、それが、プレッシャーにもなってた。


確かに、そういう成功の方法は1つの”正解”なのかもしれない。


だけどね。さっきも言った通り、私はほんとうに、そういうやり方に気が進まない。


たくさんの人にフォローされて、注目されて、ファンが増えて、商品が売れて…そんなポジティブな面ももちろんたくさんあるけど。


私のすすみたいゴールに、その手段は本当に必要なことなんだろうか?と、考えてみたんだよね。


だってさ。私はただ、わたしのやりたいことを、わたしのやりたい表現を、つきつめてやっていけばいい。


そのプロセスの中で、そういうことがしたいと思ったなら、自然にやると思うんだよね。


でも、今のわたしは違う。”やらなくちゃ”がそこにある。


『拡散力を身に着けなければいけない』『もっと人をきつけるようなことをしないといけない』って…


なんか、それって、自分の本質からズレてない?って、思えてきたのです。


もちろん、私はやりたいことはなんでもやっていいし、最初に話した映像だってやってもいいし、やらなくてもいい。


でもそれが、自分の”足りないもの”を埋めるための戦略的な道具になっちゃったら…それは、なんか違うよね。


それにね、ここ最近、すっごく大きな気づきがあって。拡散力とか求心力って、『目立つこと』や『大きな活動』をすることだけじゃないよね。


そのあたり、私はまだまだ世の中の常識とか、誰かの当たり前を無意識に引きずっていたんだなぁと思う。
  

   
私は、自分の書く言葉が大好き。


言葉には、ものすごいパワーが宿ってる。人生を一瞬で変えられるくらいの、そんなポテンシャルもあると思ってる。


げんに私は、私の中から生まれる言葉で人生を変えてきたし、願いを叶えてきたという自負じふもある。


でもさ、最近はSNSも”動画が主流”でしょ?だから、ブログを書くことって『なんか地味だよね』『映ばえないよね』とか、心のどこかで、感じてた。


勝手に、自分は不足してるって決めつけてたんだよ。だから、私がずっと映像をやりたかったのは、もしかしたら…


映像なら今の時代の流れに乗れるかもとか、もっと目立てるかもとか、もしかしたら、そういう下心があったのかもね。


でもね、最近また思い出したんだ。


ふと、何かを書いていたとき、あらためて自分の言葉に、ワクワクしたんだよね。


『…あぁ、これこれ!』って。そんな感覚が、私の中に戻ってきたんだ。


その言葉を書いてるときは、求心力が〜とか、拡散力が〜とか、そんなことはすっかりどこかにいって、もう自分の中から生まれてくる言葉に夢中になっていたのです。
   

    
そこで思ったのです。

 
ここ数年、自分がまた夢中になれるものや情熱をささげられるものを、自分の外側に探していたけど、実は、自分がもっとも簡単に生み出せる『私自身の言葉』の中にあったのかもしれないな、と。


もしそうならば、私はもう何かを探し求めなくていいし、じたばた、あれをやらないと!これをやらないと!なんてもがく必要もないんだよね。


そう思えるようになったら、なんかすごく嬉しくもなったし、安心をさらにうわまわる”安堵あんど“を心の底から感じられたんだ。


私がずっと探し求めていた、一番キラキラした輝くもの。


実は、気づいてなかっただけで、わたしの言葉の中にいつも宿やどっていたんだ。


いっぱい遠回りしたけど、失敗も挫折ざせつもあったけど、ここまで来れてよかった。大切なことに気づけてよかった。


そんなことをしみじみ思った、夏至げしの夜なのでした。

𝙴𝚁𝙸𝙲𝙾

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