誰も私のことを知らなくてもいいと思ったんだよね

ERICO

別に私のことを誰も知らなくてもいいや。ふと、そう思いました。


以前の私なら、こんな考えは正直ありなかったと思う。


いかに、自分を知ってもらうか、自分に興味を持ってもらって、自分の講座に参加してもらうか。以前はそれが目的だったと思うから。


でも今、私はこう思っています。


私の名前も顔も知らなくていい。誰も私のことを、知らなかったとしてもかまわない。私の言葉や作品が届けばそれでいい。


そう思えたことが、私は、なんだかすごく嬉しいのです。


私がこれまでいた場所、特にSNSという世界では、目立った者勝ち、注目を浴びた者勝ち、そんな世界でした。


でもね、そういう世界を否定する気持ちはないんだ。


特に私は、スピリチュアルの仕事を始めた時、SNSの世界の恩恵おんけいを多大に受けたのだから。


けれど、常に注目を集めて関心を寄せてもらうような発信や表現を継続させることは、当時の私には、難しいことでした。


なぜなら当時の私にとってSNSとは、時に自分を押し殺さなければいけない、そんな場所でもあったから。


このSNSに対しての意見は、一般的にそうだというよりは、私の性格、もしくは、結局自分の葛藤の問題なんだと思う。


だってさ、SNS上でも自分を取りつくろうことなく、疲弊ひへいすることなく、楽しくやれている人だってたくさんいるはずだから。


ただ、私にとっては難しかった。


上手に使っていくには、少しの計画と時間が必要だった。ただ、それだけのこと。


今までうまくいっていたやり方を手放すことは本当に怖いことだ。できればずっとしがみついていたい。


けれど何度も何度も、私の元に繰り返しやってくるメッセージがある。


『やり方を変えるんだ』
『道は別の方角にある』
『違う選択肢をえらぶ勇気を持て』
『小さな世界しか見ていないと、同じパターンを繰り返すことになる』


私はここからは、違うものを選択しなければならない。


怖かったから、このメッセージをずっと無視していたけど、そろそろ目を向けないといけないね。そうしなければ、私の望むものは手に入らない。


でも、私はまだ少しだけ、しがみついていることがあります。それは私が『上手にできること』に対しての部分です。


私はそれを、誰よりも上手に行うことができるんだ。そして他者を満足させることができてしまう。だからまだしがみついています。


でも、私はもう分かってるんだ。それをやりたくてやりたくて仕方がないという気持ちが起きなければ、それは進む道ではないということ。


私はもう講師ではないし、先生でもないと思ってる。


それは、ここで書いているブログを読み返していれば明白だよね。


もし私が、威厳けんいを保たないといけない先生や講師だったとしたら、自分の悩みや弱さをここまであけすけに書いたりしないと思うから。


本音と建前を上手に使うとか、威厳いげんをたもつとか、自分をよく見せるとか。私にとっては、もう本当にどうでもいいことです。


私は自分のすべて、悲しみも怒りも喜びも嬉しさも、何も隠さないで生きたいだけ。私が私であることを、ただ表現したいだけ。


その上で、新しい価値を生み出せたらいいな。きっと、今の私ならできるはず…だよね?

𝙴𝚁𝙸𝙲𝙾

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