自分の中にある一番輝くものを見つけて、がっかりした話

ERICO

私がずっとけてきたことがあるのです。


それは、自分の価値と向き合うこと。


自分の中にある一番輝くものは何だろう。自分の中にある一番価値あるものは何だろう。


ずっと、それを探し求め、追い求めて生きてきました。


“本当に心から自分を愛する人生を生きる”


3年前くらいにそう決めてから、それからというもの、本当に懸命に自己対話を続けてきたわけなんだけれど。


今年に入ってから私はようやく、その探し求めていた自分の”かく“となる部分にたどり着こうとしていたのです。


長い間、自分の価値を知ることに、ずっと背をそむけてきました。


なぜなら、幼少期ようしょうきから自分を否定してしまうような環境の中で育ってきて、自己理解も自己肯定もできなかった過去の私にとって、その答えは、あまりにも明白だったから。


『自分の価値なんて、そんなもの何もあるわけない』


私が、本当に自分自身と向き合って”本当の私”を見つけてしまったら、きっとがっかりするだろう。だって、そこには何の価値もないのだから。


無意識の中で私はそう考えていた。


だから私はずっと、自分と向き合うことを恐れて、けていたのです。


けれども、人生の中でうまくいかないことや悩むことがたくさん出てきた時、どうしても自分と向き合わざるを得なくなった。


そして私は、やっと覚悟を決めることにしたのです。


本当に自分を理解してあげたい。絶対に自分を大切にしたい。自分を心底愛する人生を生きたい!


弱い自分、情けない自分、同じパターンを繰り返す自分に、もう心底、飽き飽きしていたんだ。


だからこそ、ネガティブな体験をした事で、そこから『自分を絶対に幸せにしてあげたい』そんな強い想いが、自分に向かって芽生えたのです。
     

    
今思えば、悩んだり、苦しんだり、うまくいかない事を体験した事は、私にとって、最高のギフトになったのだと思います。


自分と本気で向き合う中で、ペラッペラのうすっぺらだった表面的な価値(に見えるもの)を全部、ぎ落とした。


仕事の実績、人からの評価、能力とか性格とか、できること、持っているもの。


そういう外側の価値じゃなくて、もっと奥にある”本当の自分の価値”を見つけたかった。


私は、自分の中にある一番輝くものが見たかった。


自分自身の否定的な考えや、多くの葛藤やジャッジメントで隠されてきた”それ”を見つけることができたら、”私は変われる、人生を変えていける”そう信じていた。


ここで言う”それ”は、生まれてきた意味や使命とも言えるかもしれないし、もっと簡単な言葉で言えば、自分の一番才能?魅力?長所?そんな感じのものかもしれない。


とにかく私は、自分の人生の核になるような信念や自信になるものを求めていたんだよね。
      

    
その日は、なんだか朝から気持ちがソワソワしていて、何かが起こることは明白だった。


ずっと知りたかったこと、ずっと手に入れたかったものが目の前に差し出されて、嬉しさと怖さと戸惑いと、それらがすべて織り混ざった、どこか複雑な気分だった。


自分の心に浮かんできた言葉を、近所のよく行くスタバで、私は、書き出し始めた。


その時に、こんな言葉が浮かんだ。


私は生まれてきただけで、それだけで、もうよかった。それだけで、十分だった。


え?は?何いまの?


私はびっくりした。混乱もした。


次にやったのは、私はその浮かんできた言葉を否定した。


『そんなわけない』


なんだか、見ちゃいけないものを見てしまったような気分になって、私はすぐ席を立って家に帰った。


その後は、浮かんできた言葉に対してずっとモヤモヤしながら1日を過ごして、ようやく夜になって私は落ち着きを取り戻した。


今までの自己対話、自己理解の集大成しゅうたいせいにたどり着いたんだから、ちゃんと向き合わなくちゃ。


そう考え直して、私はまた自分の心に意識を向けた。そして、やはり浮かんでくる同じ言葉。


『生まれてきただけでよかった。』
   
    

       
…私は正直言って、がっかりしてしまった。


自分が、がむしゃらになって見つけようとしていた自分の一番の輝き、一番価値あるものが”コレ”だったなんて。


正直言うと私は、もっと”すごい答え”が欲しかった。


これからさらに人の助けになることをしていくとか。こんな能力を使っていくとか、あんなことに目覚めていくとか、そんな答えが見つかって欲しかった。


けれど、何度感じても私の中から生まれた答えは同じだった。


うん、そう。そうなのです。私は自分に期待しすぎていたのです。


使命とか役割とか”本当の自分”とか、そういうものは、もっと崇高すうこうであったほしかった。


でも、そうじゃなかった。私が見つけた一番輝くものは、ただ、ポツンとそこにいる”ただの私”だった。


生まれてきただけでよかった。それ以上の価値なんて私には無かった。


私の使命も目的も役割も、生まれてきた一番最初の時点で完了していたんだ。


始まったと思ったら、すぐにThe endかよ。なんだか、ムカついてきた。じゃあ、今までのことは何だったの。


がむしゃらになって人の役にたとうとして、価値ある自分になりたくて、価値あることを成し遂げようとしてきた、これまでの私の人生は一体、何だったのだろうか。


体の力が抜けて、なんだか笑えてきた。


何にも必要なかった。


やらなくちゃいけない事も、役割も使命も、何も無かった。一番最初に、すべてが完了していたんだ。


なんだよ、だったら先に言ってよ。私、馬鹿みたいじゃん。必死になって使命探しとか、人生の目的とか探して、アホじゃん。


何も要らなかった。私にされているものは何も無かった。


本当のこと言うと、新しい表現や発信に関しても『次は何を教えようか〜』みたいなこと考えてたのね。


だってね、私ずっと教えてきたから。


やっぱりこれをやって生きていくしかないじゃん。仕事もそうじゃんって思っていたんだけど。なんか、それもどうでもよくなった。


そっか、教えなくてもいいのか。誰も幸せしなくてもいいのか、誰も導かなくていいのか、そっかそっか、分かった。


そういう感じになった。
   
    

    
とりあえずは、こんな形で自分探しの旅は一旦、終了しました。


でもね、今は色々と考えが落ち着いてきて、ちゃんとこれまでのことを肯定できるようになった。


私ががむしゃらになって自分の価値を探してきたり、価値ある自分になろうとしたり、その中で挫折も失敗もしてきたから、今、ここにいる。


『ただ、生まれてきただけの自分』を承認して、祝福できる。


だからね、今までの人生のどんな選択も、どんな行動も、どんな瞬間も、いはないんだ。


私の経験上、どれだけ誰かが言葉にして”あなたはもう十分だよ” “全部オッケーなんだよ”って言っても、結局、自分でそう思えるところまで、とことん自分と向き合わないと意味がない。気づかない。


でも、もしあなたが、自分と向き合いたいと思ったなら。


私ががむしゃらになって自分の価値を探してきた過程、その中での挫折も失敗も、何か少しでも、あなたの道のりの参考になるかもしれない。


『ただ、生まれてきただけの自分』を心から承認できるまでの道のりを、少しでも、言葉にできたらいいな。今は、そう思っているんだ

𝙴𝚁𝙸𝙲𝙾
   

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