私が憎んだその人は、ただの鏡だった

ERICO

今の私は、憎しみでさえも抱きしめられる、その器がある。だから、大丈夫大丈夫。


だって私は、自分を愛する力をちゃんと持っているのだから。


今朝、強烈きょうれつなフィーリングがき上がってきたのです。


残念なことに、そのフィーリングは、心地の良いフィーリングではありませんでした。


私は何かに怒っていたそう、怒りだ。そしてにくしみでもあった。


ある特定の人に対して、怒りが込み上げてきていた。それも、何年も前の出来事に対して。


私の中にはまだ怒りが、そして、憎しみが残っていたんだ。


そんな事に気づいて、同時に安心もした。


なぜなら、今の私にはその怒りも憎しみも受け入れられるうつわがある。私は、そのことを知っていたから。


そうじゃなければ、このフィーリングを思い出すことはなかったと思う。


私は、準備ができていました。


だからこそ、この感情が湧き上がってきたのだと思う。でも今日は、いつもと違う気づきもあったのです。


その気付きとは、私が怒りを感じたその人は、同時に私の”愛すべき人”でもあったということ。


これまでの人生の中で、私を変えてくれて受け入れてくれて、いつも心を穏やかにしてくれた。そんな人でもあったのです。


私は、今も変わらずにその人が大好きだ。


その人からメッセージが来るだけで笑顔になる。心があたたかくなる。この言葉に、嘘はありません。


そして私は気づいたのです。私は本当は、この人に対して怒っているのではない。


その人は、ただの鏡でした。私の葛藤を映し出していた。


そして同時に、私の過去の怒りと憎しみをその人が見せてくれていたのです。


私はその人を通じて、自分の母親を見ていた。


『なぜ私を大切にしてくれないの?』
『なぜ私の気持ちを理解しようとしてしないの?』
『なぜ家族をないがしろにするの?』
『なぜ嘘をつき続けるの?』
『なぜ私を受け入れてくれないの?』
『なぜあんな奴を優先するの?』
『なぜアイツの話は聞いて、私の話を聞こうとしてくれないの?』



私の中には、確かに憎しみがあった。


もうすべて癒やした、手放したと思っていた憎しみが、まだ心の奥底に残っていました。


悲しみが積み重なると、いつしかそれが憎しみに変わるんだなぁ。そんなことを、ぼんやりと考えた。


とても不思議な感覚なんだけど、自分の中に憎しみがあることに気づいて、私は穏やかさの中にいた。


“憎しみ”と”穏やかさ”が同時にあるなんておかしな感じもするけど、でも私ははっきりとそれらを感じていた。


私は、自分の中にあるこの憎しみをすぐに手放す気にはなれませんでした。


それを抱きしめていたかった。憎しみの中にある悲しみを、無かったことにしたくなかったのです。


私が、今までの人生で感じてきた1つ1つの悲しみが、今の私を輝かせる原動力になっていることを知っていたから。


時間はかかるかもしれない。でも無理はしたくない。


今はただ、この憎しみを抱きしめようと思う。積み上げられた悲しみをただ受け入れようと思う。


いつか完全に手放せるその日が来るまで。

𝙴𝚁𝙸𝙲𝙾

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