正しくなければ、愛されないと思っていた

ERICO

久しぶりに大きな葛藤が出てきたたので、それを、手放すためにもブログに書き起こします。


ここ数日、頭の中でぐるぐるしている言葉があり、そして、心をモヤモヤさせている感情があった。


『私は、言いかしたい』『私は、自分が正しいことを証明しなければならない』


↑なんだか物騒な感じだけど。笑


強い怒りとともに、こんな想いが浮かんできた。


例えば、過去に自分のことを侮辱ぶじょくした人たち。自分を否定してはなれていった人たち。そういう人たちに、ものすごく大きな怒りがいた。


その当時は、何も言えなかったけど今なら、こういう風に言い返せる。こんな風に対応できるし!!


そんな感じで…もう既に終わった過去なのに、どうすることもできないのに。悔しさなのか、後悔なのか心の中で、その過去を思い出して彼らと口喧嘩くちげんかしているんだ。


こうやって言えば、彼らを納得なっとくさせられたのか?こうやって言えば彼らを言いかせられたのか?


とにかくギャフンって言わせたい!『ごめんなさい、私が間違まちがってました』って、謝らせたい!みたいな。


私は本当はきっと、その時、すごく傷ついたんだよね。そして、すごく悲しかったんだね。またまた、怒ってもいたんだね。


今になって、そう気付いた。


そして、自分自身がまだ過去に執着しゅうちゃくしていることにも同時に気づいたんだ。
    

  
なぜここまで、彼らに執着しゅうちゃくしてしまうんだろう。


もう過去だし、終わったことだしどうにもできないのに。


それは、頭ではわかっているけど、怒りやくやしさやモヤモヤが収まらない。


そうか、これはきっと葛藤かっとうだ。どんな葛藤が、私をこの過去の出来事にとどまらせているんだろう。


私の言葉を、”私の喜びのため”には使わずに、誰かを言い負かすために使おうとする。


この執着は、一体、どこから来ているのだろうか。
   


私は、自分が正しいことを
証明しなければいけない

私は、自分の方こそが正しかったと
相手に思ってもらわないといけない

私こそが、正しいことをしていると
思ってもらわないといけないのに…


これは…葛藤だ。まぎれれもない葛藤だ。


私が、これまでずっと感じていたのは、喜びではなくて、あせりだった。


自分が、自分こそが正しいのだと証明しょうめいしなければ、そんな焦りといきどおりと、怒りだった。


そんなドロドロとした感情がずっと、私の心を支配していたんだ。


なぜだろう。なぜにここまで、正しさや、正しい自分だと思ってもらうことに執着しゅうちゃくしてしまうのだろう。


私は、葛藤をもっと深く見ていった。そうしたら、さらに見えてきたもの。


だって、そうしなければ
私は愛してもらえない。
私のことを見てもらえない。

だから、どうしても証明しなきゃ。
私が、正しかったってことを。
あの人に、わかってもらわないと。

そうでなければ、
私はずっと、愛してもらえない。

   

      
ようやく分かった。これは、母親に対してのおもいいだった。
       

    
この葛藤は、私と母親の関係から生まれたものだった。

きっと、私が正しい人間になって、正しいことを言って、私こそが正しかったと分かってもらえたら、母は私のことを考えてくれる。


そうしたら、向き合ってもらえるそうしたら、愛してもらえる(はず)


だから、だから私は、母に愛してもらうためにも、正しいことをしなくちゃ!!


『私が悪かったわ』『私が間違ってたわ』そう、母に言ってもらうためにも、正しい人間にならなくちゃいけないと、ずっと執着していたのです。


相手を言い負かしてでも相手を否定したとしても、私は、自分の正しさを確立させたかった。


結局、私はどうあがいても、母に愛されたかったのだ。
     


でも、私は、愛されることに条件をつけていた。


でもそれは、母がそうしたわけではなくて、私こそが、そう仕向けていたのだ。


私が正しいことをすれば、正しい人間になればきっと、愛してくれるはず!こっちを見てくれるはず!


逆に言えば、私の葛藤はこうだ。


正しい人間にならなければ
愛してもらえない。
母にも、他の誰かにも。



母親との関係を、他の誰かとの関係にも投影とうえいしていたんだよね。


だから、他の誰との関係でも『私が正しいと思ってもらわないと』という葛藤が、つねにチラついていた。


私は母に愛されることを、こんなにも求めていた。


でも、自分が葛藤を持っていて、愛されることに条件をずっとつけていた。


だからこそ、必死になって、死に物狂ものぐるいで、正しい人間になろうとしていたんだね。


自分の本当の幸や喜びを後回しにしてでも、正しい自分でいることを選んできたんだ。
    


だから、私はずっと恐れていた。


“あなたは間違ってるよ”
“あなたの考えは違うよ”
“あなたは正しくないよ”
“あなたよりすごい人がいるよ”
“あなたは大したことないよ”


そう言われるんじゃないかっていつも、私はおびえていたし、おそれてもいた。


誰かが、目の前で他の人をめると自分は認めてもらえないない、『あなたは間違ってるよ』言われているような気にもなった。(被害妄想やばすぎん?)


その人は、ただ素敵なことや、その人にとっての喜びをシェアしてくれてただけなのに。私は勝手にふてくされて、卑屈ひくつになって


“私は認めてもらえてない”
“私は愛してもらえてない”


そう傷ついて、勝手に1人で落ち込んでた。(なんて面倒くさい女なんだ)
    

    
でも私は、この葛藤に気づいた。


もう、正しさを追い求めて生きていくなんて、まっぴらごめんだ!!そんな生き方したくない。


私の言葉は、私を喜びへと導くためにあるのに。私を幸せにするために、存在しているのだから。


なのに、誰かを言い負かす?自分が正しいこと証明する?これは私の本当の望みじゃない。


勝手に条件づけして、勝手に傷ついて、落ち込んで。私は愛されてない、私は認めてもらえてないって卑屈ひくつになるなんて!!


嫌だ。嫌だ。もう嫌だ。絶対に嫌だ。


それに私は、正しい人間でいなくたって、正しいことをしなくたって、例え、選択を間違えてしまったとしても、過去に間違いを犯してきたとしても


それでも、私は愛されるのだから。


愛されていいのだから。愛される価値があるのだから。


愛されることに『正しさ』なんて必要ないんだ、本当は。
    


私は、この葛藤を手放します⍤⃝もう必要ないから。


私は正しいことをしなくていいし、私が正しいことを誰にも証明しなくていい。


私の人生には『正しい言葉』も『正しい選択』『正しい行動』も、もう必要ない。


私の人生を導くものは、”愛されるための正しさ”ではなくて、私を心から満たしてくれる”喜び”であるはずだから。


私は主導権を、葛藤から喜びへとわたすと決めました。


ここ最近のわたしの物語でした。

𝙴𝚁𝙸𝙲𝙾

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