他人の批判を、個人的に受け取らない

ERICO

これまでの人生で、良いことも悪いことも、たくさんの体験をしてきて、気がついたことがあります。


それは、他の人が私のことをどう思うかは、私の人生には直接関係がないという事です。


たとえ、自分が理不尽に批判されたとしても、自分の選択や行動や発言をネガティブに思われたとしても、


それは相手の価値基準での判断であって、私自身の問題点や判断ではないからです。
    

自己理解の土台がないと、すべての批判を無条件で受け入れてしまう


『自己理解』というアイデンティティの土台が、形成されていない段階で批判されると、人は、それを無条件で自分自身の問題だと受け入れてしまうのです。


自分がどんな価値基準を持っているのか、どんな考えを持っているのか、自己理解ができていないと、すべての批判を鵜呑うのみにして、自分の問題として受け入れる。


そして、それが自分を責める要因となってしまいます。


もちろん、批判の中には自分を振り返るきっかけになる大切なものもあります。その経験から成長することは重要かもしれない。


けれども、すべての批判を”直接的に”受け取る必要はないのです。


自分にとって何がよくなかったのか、
何か反省するべき部分があるのか、
どんな改善や変化が必要なのか。
それを判断するのは、最終的には自分自身です。



自己理解の土台がきちんとあれば、相手の批判を聞いた上で、
『これは受け入れよう』
『これは反省しないといけない』
『この批判はおかしいしな』などと、


自分で、”批判の良し悪し”を判断できるようになります。
   

批判に感情が大きく反応するのは、自分の中に葛藤があるから


相手からの批判に、感情が大きく反応してしまうのは、自分の中に、葛藤があるからです。


他人の批判に対して、強い感情的反応を示すのは、その批判が自分の中の何かに触れているから。


つまり、その反応は自分自身の内面の葛藤を示しているのです。(葛藤は言い換えると、『こうあるべきだ!』という”正しさ”です)


私たちが、他人との関係で経験することは、実は、すべてが『自分自身との関係性』を映し出しています。


誰かが私を批判したならば、それは、私が無意識のうちに自分で自分をを批判しているということです。


一方で、誰かが私を批判したり否定したとしても何とも思わない時、反応が起こらない場合も存在しますよね。


その時、そこに葛藤はなく、私は私を、承認しているのです。
    

他人の世界で起きていることは、私の問題ではない


私は、他の人が私のことをどう捉えるかに意識を向けないと決めました。


自分の人生を望む方向に舵取りができない時、ほとんどの場合は根底にこの問題があります。


他の人が、自分をどう捉えるかという『他人の世界』で起きている『他人の問題』を、自分の問題として受け取ってしまうのです。


実際は、もし誰かがあなたを批判したとしても、あなたの人生には何の問題も起きていません。


けれども、あなたが他人の言葉によって過剰にネガティブな反応をしてしまうのなら、それは、あなたの問題です。あなたの中に葛藤があるからです。
  

外の世界は、自分を理解するための鏡


私たちが経験する世界は、自分自身の内面世界の反映です。


外の世界は、自分自身をより深く理解するための鏡のようなものです。


他人の意見や価値観と、自分の思想や価値観を区別できないと、自分らしさを失い、苦しい思いをすることになります。


誰かの目を気にしながら、誰かに承認されるため、受け入れてもらうためだけに自分の時間も能力も注ぎ続けることになるからです。


そう、それは言ってしまえば、過去の私の姿でもあります。


私は、すべての批判やジャッジメントを個人的に受け取らないことに決めたのです。


私の世界や私自身がどう存在するかは、私が決めることであり、私にしか決められないことだから。


あらゆる常識や、他者の価値観、すべての葛藤から自分を解放して生きる。
 
  
それが、私が決めた新しい生き方です。

𝙴𝚁𝙸𝙲𝙾

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