情けなくて、恥ずかしい

ERICO

ふと、しばらく連絡をとっていない知り合いのことが気になって、彼女のLINEを探してみた。


彼女のアイコンは、新しい写真になっていて、彼女の笑顔はとても輝いていた。


こんなことを言ったら失礼なのは100も承知だけど、彼女は造形的にはそこまでキレイな人ではないんだ。けれども、私には彼女がハリウッド女優かのように輝いて見えたのだ。


その瞬間に、私の心には嫉妬しっとの炎が燃え上がった。


彼女はこんなにも輝いて人生が充実してそうなのに、私ときたら毎日、根暗ねくらなつぶやきとブログを書いて卑屈ひくつに生きている。


その瞬間の私の顔は、きっと死ぬほどみにくかっただろうな。


私の問題は、顔の造形的には美人寄りだけれど、心がブスなことだ。心がブスということは、それはもう、全体がブスだということだ。


“自分の見た目は、結構いい方だと思う”


長い間、そう思って生きてきたけど、私は初めて『自分は本当はブスなのだ』と悟った。43歳の冬の出来事である。
  


実はわたしは、自分がブスな理由を知ってる。知っていたけど、気付かないふりをしてきた。


その理由は、いつも自分と誰かを比べているからだ。


そうして、他人に比べて自分がおとっている部分を念入りに抽出ちゅうしゅつして、丁寧に味わっているのだ。


アホか。コーヒーじゃあるまいし。


そんなことをして生きてきたから、私は常に劣等感と隣り合わせだ。劣等感とはもう長年の親友なのだ。


でも、私はその事実が少しおかしいのではないかということにも気づいていた。


だって、私は同時にとても素晴らしく価値のある人間だとも思っていたから。


そう、これは矛盾なのだ。そして内なる葛藤だ。
      


私がずっと劣等感を手放せなかった理由。


もうありきたりなパターンで、書いててつまらないなとも思うけど、本当のことだから書くしかない。


そう、それは母親の影響なのだ。


私の母は、コンプレックスにまみれた人間だった。


母の父親(私にとっての祖父)は、典型的な昭和の頑固がんこじじいだったらしい。朝からウィスキーを飲んで、女房には容赦なく手を挙げるような人だったと聞いた。


話は変わるけど、元夫の母親と今も仲がいいのだけど、その義理の母とおととしハワイ旅行に行ったのだ。朝散歩していたときに、義理の母が結婚して嫁いだ頃の話をしてくれた。


やはり彼女も言っていた。当時は、暴力をふるわれるのは当たり前だったと。昭和の時代は、今よりももっと家父長かふちょう制度が顕著だったのだと思った。

※家父長制とは、男性による支配を目的とした社会制度や慣習、考え方のことです。


自分で決めることや意見を持つことが許されなかった、そんな時代の呪いを背負った女性たちは、やはりどこかゆがんでいる。その歪みは、いい方向に歪む場合もあるし、悪い方向に歪む場合もある。


私の母親の場合は、悪い方向に歪んでしまっていた。いや、もしかしたらいい方向なのかもしれない。私には分からない。


母はいつも何かを批判して愚痴を言っていた。そして、まわりの家庭と比べて、どれだけ自分たちがすぐれているかを必死になって証明しようとしていたように見えた。


そんな女性のもとに生まれた私だった。
       

      
母は、私と姉にいつもキレイな洋服を着せてくれた。習い事もさせて、不自由なく色々なものを与えてくれた。そして、いつも可愛いと言ってくれた。


でも母は、いつも他の家庭の子供と私たちを比べていた。


『◯◯さん家の**ちゃん、あそこの名門中学に入ったらしいわ!』
『△△さん家は、おうちが豪華で素敵ね!お金持ちなのね!』
『あなたの同じクラスの■■ちゃんはバイオリンを習ってるんだって!すごいわねぇ』


母は、他の子供をいつも見ていた。


母は、自分の子供にキレイな服を着させて、時間とお金をかけて習い事をさせて、手をかけているのにもかかわらず、母が見ていたのは他の娘たちだった。


母は、私を見なかった。


私はただのお飾りだったのかもしれない。他の人がうちの家庭を見たときに、最低限、幸せそうな家庭なのだと思われるように、着飾っておかなければならなかった。


昨年、家の大掃除をしていたら幼少期の写真がたくさんでてきたのだけど、私も姉も、いつもおそろいのきれいな洋服を着て、そこに立たされていた。


誤解のないように書いておくと、別に私は、お飾りにされた自分をなげいてはいない。


私自身、2人の娘がいるけれど、小さい頃は可愛い服を着せていたけど、今はもう無頓着むとんちゃくだ。


子どもの服は、すぐ汚れるし、やぶれる。それに、成長してすぐ着れなくなる割には、高い。だから、今はもっぱら、ユニクロやZARAやGAPで買うのだ。それも適当に。


自分の見栄のためだとしても、つねに子供に可愛い服を着せて着飾って、家に余裕があると見せるためだとしても、習い事をさせるのも服を揃えるのも大変だと思う。


だから、この母の執着は、ある意味”愛”なのだ。


歪んでいるけれど、確かに愛だったと、私は解釈している。
          

       
さて、私の劣等感の話に戻ろうと思う。


私には、ADHDの特性がある。昨年、はじめて病院で診断を受けた。私は、発達障害を持っている。


今でこそ、大人になったからある程度自分でコントロールできるけれど、不注意、忘れる、失くす、お金の管理ができない、衝動的、感情に支配される。これは、日常茶飯事だった。


私が小学生の頃、私はいつも怒られていた。家でも学校でも。


片付けができない。習い事にいかない。提出物をださない。だらしがない。人の話を聞いていない。ボーっとしている。だいたい、こんな感じがデフォルトだった。


いつも怒られていたけど、私自身は、なぜ怒られるのか分からなかった。


自分的には、何も悪いことをしていないのに、ただその歳の子供なりに一生懸命生きているのに怒られる。ただ存在しているだけで、ただ生きているだけで、ふつうの生活をしているだけで、怒られる。


これが私の劣等感に土台になっているけど、でもこれはまだ序章だ。
         

       
その日、母はすごく怒っていて、グチャグチャに汚かった私の机を片付けはじめた。


私は、ぬいだパンツを洗濯カゴにいれずに、机の引き出しにしまう子供だった。脱いだパンツを勉強机の引き出しにいれるのが、正しいことだと思っていた。


でも、母親は怒っていた。なぜ、ぬいだパンツを机にいれるのか、母には理解できなかったみたいだ。まぁ、当たり前だ。


私は怒られながら、母が私の汚い机の中を片付けるのをただボーっと見ていた。


片付けが終わって、母と一緒にお風呂に入った。湯船にあったまっていたら、突然、母が泣き出した。


『どうして、あなたは…できないの?』母は、そう言って静かに泣いていた。


母は、私に失望していた。私が、脱いだパンツを勉強机にしまう子供だからだ。


だからそんな私のことが情けなくて、そして、そんな娘が自分の娘だという現実が苦しかったんだと思う。


私は、何も言えなかった。


私はそれまで、自分がなぜ怒られるのか分からなかった。でもその時はじめて、『自分は母を泣かせる存在で、泣かせるくらい恥ずかしい子供なんだ』と思った。


それから母は、それまで以上に私のことを見なくなっていった。
         
    




母は、私のことを見て見ぬふりをしていた。


私は、自分に関心を持ってくれないことが悲しくてさみしくて、ある時から、家のお金を盗むようになった。


最初は、おばあちゃんの財布から小銭を。その次は、お札を。数百円から1000円程度。


当たり前だが、すぐにバレる。子供のやることなんて、すぐにバレる。


だから、祖母はすぐに気づいた。きっと、母にチクったんだ。


でも、私はそんなことはつゆ知らずに、次は、姉の机に入っていた、塾代から1万円を盗んだ。そして、それを自分の机にしまった。


次の日、ゲームセンターに行こうと思って、自分の机を見たら、お金は無くなっていた。きっと、母がお金を見つけて、戻したんだと思う。


私は家のお金を盗んで、悪いことをした。でも、家族は何も言わなかった。母も、私に怒らなかった。一番、怒らないといけないところだと思うんだけど、でも、母は私に何も言わなかった。


私は、良いことをしても悪いことをしても、何をしても、何も言われなかった。


これは関心がなかったからじゃない。


母は見たくなかったんだと思う。信じたくなかったんだと思う。自分の子供が、こんなにも出来損ないだなんてことを。受け入れられなかったんだと思う。知らんけど。
             


母と話していると、私はよく感じた。


母は、私のことを恥ずかしいと思っている。そして、情けないと思っていると。


私が世の中の『普通の子供』と違ったからだ。それも悪い意味で違ったから。


母にとって、世間から白い目で見られること、それは”死”を意味する。


母はいつもきれいだった。キレイな洋服を着て、おしゃれをして、きちんとメイクをして、着飾っていた。


『お若いですね〜きれいですね〜!』どこに言ってもそんな風に言われることを母は嬉しそうに話していた。確かに、母はいつもきれいだった。どこに行っても目立っていた。華があって明るい女性だった。


せっかく母が死ぬ気で『素敵な女性』の地位を獲得してきたのに、私は、それを一瞬で壊すような子供だった。だから、私は、母の前ではいつも透明人間だった。
       

           
そんな過去があったおかげで、私はつねに自分と誰かを比べて、劣等感を感じていた。


劣等感の根底には、『私は恥ずかしい、私は情けない』そういう信念があった。


だからずっと自分に自信が持てなかったのだ。どれだけ成果を生み出しても、どれだけ評価されても、どれだけ愛されても、私はなぜか自分が恥ずかしかった。


そしてこの物語は、私が劣等感を手放した話じゃないんだ。ごめんね、期待した?


私は、今も劣等感を持っているよ。


この瞬間も、自分は他の人に比べてなんてクソなんだって思っている。人は、そう簡単に変われないのだ。残念だ。


でも、少しだけ変わった部分がある。


それは、私は自分が劣等感を持っていることを、恥ずかしいと思っていないということだ。


そしてなんとまぁ、私はこんな自分が好きなのである。


私の心の中は、いつもドロドロで嫉妬と劣等感にまみれていて、気を抜くと顔が般若はんにゃのようになるんだ。


だから私はいつも心の中で、幸せそうにみんなから愛されている女性をにらみつけている。なんてあわれ。なんてみじめなんでしょう。


まぁ、でもしょうがないよね。これが私だしね。これが大切な自分で、宝物な自分なんだ。


劣等感を手放さない。無理に手放さない。劣等感は悪者じゃない。劣等感を抱えていても、自分を好きになれるし、幸せになれる。そんな自分を大切にする。


誰かをにくんでにらみつけてもいい。でも自分にだけは微笑みを。一番、ドロドロして見せたくない自分を解放する。そうしたら、一瞬で自分を好きになれる。劣等感はたからもの。

𝙴𝚁𝙸𝙲𝙾☺︎

ブログ読者登録をする

メールアドレスを登録すると、ブログが更新された時にメールでお知らせします💌ブログを見逃したくない方は登録してね☺︎

記事URLをコピーしました