なぜ私はいつも途中で飽きてしまうのか(後編)

ERICO
前編はコチラから
なぜ私はいつも途中で飽きてしまうのか(後編)
なぜ私はいつも途中で飽きてしまうのか(後編)


私のこれまでの人生において、特に自己表現をし始めてからは、ずっと同じパターンを繰り返してきました。
   
   
私は、繰り返される同じパターンの現実のポジティブな部分しか見ていなくて、ずっとそこに葛藤があることに気がつけずにいました。
   
    
私のこれまでの表現や活動の根底には、こんな葛藤がありました。
   
    
“頑張っていれば、いつか認めてもらえる”
“頑張っていれば、いつか愛してもらえる”

“けれども私は愛されるべき存在ではない
私は愛されてはいけない存在だ”

    
   
前回の記事で、ずっと自分の人生の根底に『かわき』があったと書いたのですが、その乾きの原因が、この葛藤でした。
   
  
私の表現の根底にあったのは、愛されたい、認められたいという承認欲求しょうにんよっきゅうでした。
   
    
だから今までずっと、他の人にみとめてもらうために、私は走り続けてきたんですね。
    
   
でもそんな想いとは裏腹うらはらに自分を否定するような
“愛されてはいけない”
“愛されるべきではない”
という葛藤が根底に存在していた。    
 
  
だから、どんなに頑張っても、みんなに喜ばれても感謝されても、結果を出しても、成功していたとしても…
   
    
『私は、こんな風に認められるべきじゃない』
『私は、愛されるべきじゃない』と
ずっと、自己否定を続けてきたのです。
   
   
自分が望むものが手に入りそうになると、途端に自分の手でそれをこわし続けてきた。
  
    
気づかないうちに、ドM人生を歩んできたわけです。
   
   
“私は愛されたいけど愛されるべきでない”
    
  
そんな何にも役に立たないどころか、自分の足をひっぱるこの葛藤を私はずっと、今まで大事ににぎりしめて生きてきたのです。
    
  
私が何をやっても、自分の好きなやりたい事をどれだけやっていたとしても
  
    
最終的にどこか満たされなくて、燃え尽きて、疲れてしまっていたのは、私が、きっぽいからではなかった。
  
  
それが分かって、安心しました。
   
     
それと同時に、もう愛されるために、誰かに認めてもらうために表現をするのも終わりにしようと決断できました。
   
  
だって、私の表現はすべて、私の喜びのために存在しているのだから。
    
  
“私は愛されたい”この想いはこの先も消えないと思う。


でも私は、既に愛されているし、愛されるために生まれてきた。
    
   
だからもう愛されるために生きなくていいし、まわりに承認を求めなくていいし、何かを成し遂げなくてもいい。
   
    
これからは自分の表現を、本当に自分ために、自分の喜びのためにしてあげられるんだから。
    
   
はぁーーー。この馬鹿げた葛藤ゲームを終わりにできて本当によかった。
    
    
本当にすべてのエネルギーを、自分の表現に自分の喜びのために注ぐことができるようになったら、私はどんな表現をしていくんだろう。
    
     
これからの自分、そして自分の表現がすっごく楽しみになってきた!

𝙴𝚁𝙸𝙲𝙾

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