親友を通じて、愛されなかった自分に気づいた

ERICO

私には、親友と呼べる人がいる。


片手で数える程度しか友人のいない私だけど、そんな私にとって、かけがえのない人。


親友がいるということが、どれだけ幸せなことなんだろう。友達が少ないからこそ、ありがたみを感じられる。


彼女は、私が『服部エリー』(過去の活動名)として、活動していた頃から私を見てきた人だ。


私のすぐ近くにいてくれて、ずっと見守ってくれて、ときには鼓舞こぶして勇気を与えてくれて、ときには母親のような愛情と癒やしを与えてくる人。


向こうが私のことを、どう思っているか分からないけど家族よりも、家族のような人だ。


私はたまに、彼女の選択を批判したり、彼女の行動に、ケチをつける時がある。


もちろん、それは彼女に幸せになって欲しいがゆえの私なりのアドバイスだったりするんだけど。


彼女は嫌な顔ひとつせずに『そ〜ですよねぇ〜やっぱり〜あはは〜☺』なんて、大きなふところで受け入れてくれるんだ。


なのにね、思い返してみれば、私が彼女から何かを否定されたりジャッジされた事はこれまでに、1度もないんだ。


私がどれだけ、生産性のないことをしても、常識というレールから道を外したとしても


彼女は、何も言わずにただただ、私を受け入れてくれる。『あなたはそれでいいんだ』と。


人間関係をこじらせるのが得意な私は、ある時は、こんな風に思っていた。


彼女はきっと本当は私になんて興味がなくて、結局、私のことなんてどうでもいいんだろう!!


私のことなんて、本当は大事じゃないんだ!!大切に思ってるのは、私だけなんだ!!


え。ただのメンヘラ彼女?笑どうして、そうなった?と思うよね。


彼女の溢れる母性の前で、私は幼少期の『愛されなかった自分』を思い出すことがあった。


彼女からしたらなんて迷惑な話なんだろうと思うんだけど、こじらせるのが上手な私は『愛されなかった自分』を彼女に押し付けてるときがあった。


でも、ある時、私はわれに帰った。彼女は、私のお母さんはないのだ。何でもない、ただの友人なのに。


そして彼女はこんなにも私に対して、愛情深くてどんな私でも承認してくれるのに、私は、何をやってるんだ!!


私は、彼女を通じて、ときどき体験していた
『気にかけてもらえない自分』
『頑張っても、褒めてもらえない自分』
という内なる葛藤に気づき最終的には、それを手放すことができたんだ。


そうして葛藤を手放した後に、私の目の前のいたのはただの愛情深い親友、観音菩薩かんのんぼさつのような人だった。


今年も例のごとく私がメンヘラ期に突入してたので、今年の2月に一緒に旅行に行ってからしばらく会っていなかったんだけど、昨日久しぶりに会うことができた。


ただただ、楽しかった。


私は、私自身の恥ずかしい話も情けない話も、今はやる気があるとか、これからはこういう事がやりたいとかそんな話をして


ただただ私たちは、そんな穏やかな時間を過ごしたのだ。


いろんなことしたいね!いっぱい遊びたいね!また旅行もいきたいね!あれも!これも!そんな話をしたけれど


正直わたしは、それが実現しなくてもいいんだ。それが叶っても叶わなくてもどっちでもいいの。


私たちがお互いにおばあちゃんになってパートナーもいなくなっって、ヨボヨボになってもたまに一緒にいられる時間があればいいのだ。


あーだこーだ言って、時には愚痴をこぼして、少女のように目をキラキラさせて夢を見ながら過ごせれば、それだけでいい。


だってあなたがこの世界に存在しているだけで、私はもう既に満たされているのだから。


私が、自分を大切にすることができるようになったら、彼女のことをもっと大切に思えるようになった。


それがまだなんとも言えないくらい嬉しいね。


世界は今日も、穏やかに存在している。

𝙴𝚁𝙸𝙲𝙾

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